今回は岐阜県大垣市のシンボル「大垣城」の記事となります。
はじめに
いきなりですが、まず残念ながら私は歴史には疎いです。
精々「信長の野望 戦国群雄伝」や「三國志II」「水滸伝 天命の誓い」のゲームから、横山光輝氏の各種中国歴史的な名作漫画しか知識はありません。
中学生の頃は友人と「やーい、曹豹(ゲームパラメータの低い武将)」や「姉ヶ崎家でゲームスタート」などと言い合う程度の馬鹿でした。
そのため勿論、お城への造詣も皆無ではありますが、大垣城に限っては、写真だけはよく撮影をしました。
今回は様々な角度、時間、季節の大垣城をご覧ください。
・・・歴史に関しては他所様で学んでくださいね。
大垣城とは
西暦1500年に初代の大垣城は築城され、改築や天災による建て替えを経て、昭和初期には旧国宝に指定されるまでとなりました。
しかし戦中、産業都市であった大垣は「大垣空襲」を受け全壊、街も焼野原となりました。
しかし、岐阜市の空襲の惨事から学んだ大垣市民は「ひたすら逃げる」ことで、奇跡的に少ない死傷者で済みました。
現在の大垣城は再建城ですが、そこかしこで当時を知ることができます。
大垣城 本丸 東側
大河ドラマ「麒麟がくる」は観てますか?
美濃の大名、斎藤道三も実は大垣城が欲しくって欲しいーって、織田信長の父親と壮絶な争奪戦を繰り広げたらしいのです。
それが1500年半ばくらいとのことですが、既にその頃、大垣は水陸東西交通の要であり、宿場町は栄え、政治と文化が発達をしていました。
東門をくぐり、新緑の季節
夜間ライトアップ
冬の昼
春の桜満開
雨の秋
冬の朝方
夏の午後
積雪時
夏の夕暮
大垣まつり開催日 (入口に装飾がつきます)
本丸 南東側
その後は常に織田信長、豊臣秀吉の優秀な一門が城主となり、豊臣秀吉は大垣城を「要の城」とまで言い放つ位、重要な拠点、文化の発信、商業で栄えたといいます。
初夏の昼
桜満開の春
桜散り始め
冬の夕方
冬の昼
夜間通常ライトアップ
夜間ブルーライトアップ(大晦日)
積雪時
秋の日中
冬の早朝
本丸 東側 (東門)
作成中
本丸 北東側 (櫓)
作成中
本丸 北側 (水手之門跡)
作成中
本丸 西側 (西門)
大垣城は今も市街地を流れる水門川に囲まれ、そこには多くの櫓が建設されました。それにより大垣城攻略は難攻したそうです。
西門は近代になっての新設門です。(桜満開・雨)
冬の日中
積雪時
桜満開・晴天城
夜間ブルーライトアップ
通常ライトアップ
夕陽を浴びる大垣城
本丸 南側 (鉄門跡)
作成中です。
本丸 北西側 (櫓)
作成中です。
初代藩主像
作成中です。
糜城の滝
作成中です。
おあむの松
作成中です。
大垣公園より見た大垣城
大垣城は現在、一ノ丸のみの復興となりましたが、当時は三ノ丸まで存在していました。隣接する大垣公園も大垣城の一部でした。
通常ライトアップ。
4/1のブルーライトアップと思われます。
その他大垣城写真
秋の十万石まつりは常葉神社の例祭です。現在は大垣城付近に移設をしましたが、当時は大垣城地内に建立されていました。
大垣城内・天守
大人は200円で大垣城内資料室、展望所が利用可能です。
大垣市街地は勿論、岐阜城や伊吹山、季節により美しい夕陽も楽しめます。
天守(4階)より秋の西方向です。
南方向です。
冬の東方向です。
北方向です。
積雪時、市役所方向(南西)です。
最後に
あることがキッカケとなり気付いたのですが、ブログ記事も「大垣市」だけではなく、大垣のスポット別記事を増やす方向にしました。
まあ、ブログタイトルからやや外れてもいますが、岐阜県内につきましても、可能な限り色々と訪れたいと思います。
今回は以上です。
ブログ内記事リンク紹介
なぜか岐阜県大垣の情報が盛りだくさんです。
■大垣市の「大垣三大祭り」記事など
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